さて今日は
『失敗の本質―日本軍の組織論的研究』(戸部良一ほか 1991年 中公文庫)の書評です。
何度かお話している、熊野以素(いそ)豊中市議のご著書『九州大学生体解剖事件 七〇年目の真実』(2015年 岩波書店)ですが、こちらと併せて読んでいただきたい周辺資料として取り上げることにしました。
とてもボリュームのある本ですので、先に言いたいことをまとめますね!
書評のまとめ
- 戸部良一ほか『失敗の本質』は、大東亜戦争の色んな作戦が、どうして失敗に終わった理由を、旧日本軍の組織のあり方から研究した本
- インパール作戦では、無謀だとわかっていた計画なのに、上司と部下が忖度しあった結果、実行されてしまった。
- 今の日本社会でも、空気を読んだら会社の不正に加担しちゃったりとか、こういうことよくあるよね。
まとめを読んで気になるなぁと思った方、覚悟して書評読んでください♪
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書評 『失敗の本質』
まえがき
兵法の不朽の名作といえば、西はクラウゼヴィッツ『戦争論』、東は『孫子』が挙げられます。ですが、孫子が他の兵法書と異なるのは、「戦争をしないことが至上の価値である」という明確な意識に貫かれていることです。「百戦百勝は善の善なるものにあらず」と孫子は言います。ひとたび戦争になれば、命を奪い合い、家族が失われ、田畑を耕す人がいなくなり、飢饉が起きる。人間にとって不幸であるばかりでなく、社会・国家にとってもそのダメージが大きすぎる。だけど、それでもなお戦わざるを得ないとき、どのように不幸を最小化していくのか、その問いが『孫子』の背後にあります。
その精神において、戸部良一らの『失敗の本質』は、『孫子』の系譜に位置づけられるかもしれません。この共同研究では、「大東亜戦争は善か悪か」「なぜ日本は無謀な戦争に突入したのか」という大前提の問題は、あえて問われません。開戦したことを前提にして、「なぜ日本の戦争が失敗したのか」という問題が研究の対象です。ですが、その問題意識の背景には、戦争の悲惨さを直視し、そこから教訓を学んでいき、再び惨禍が起こらないようにしたいという願いが確かにあります。
本書の構成
『失敗の本質』は三部構成になっています。一章「失敗の事例研究」では、大東亜戦争上、失敗に終わった作戦の内容を、歴史学の手法で分析していきます。「ノモンハン事件」「ミッドウェー作戦」「ガダルカナル作戦」「インパール作戦」「レイテ海戦」「沖縄戦」の6つの作戦です。
二章「失敗の本質」では、個々の失敗のケースに共通してみられる日本軍の組織的特性や欠陥を抽出し、米軍組織との比較が行われます。
三章「失敗の教訓」では、「日本軍の組織特性や欠陥」が現代日本のさまざまな組織にも継承されているのではないかという問題意識から、日本軍の失敗の本質について、組織論から総合的理論化が図られます。
事例紹介 インパール作戦
事例研究を一つだけ紹介します。8万6千人の兵士のうち戦死者が7万人以上、その過半数は餓死者であったというインパール作戦です。昭和17年、ビルマ攻略作戦が成功した直後から、連合国から中国軍への支援ルートを遮断するために、険しい山系を越えて東部インドへ侵攻しようという作戦の準備を大本営が指示しました(二一号作戦)。しかし、作戦地域がジャングルで雨期には作戦不能であること、たとえ乾期でも悪疫瘴癘の地であり、また険峻な山地が南北に走っていることなどから、現地軍はこの作戦に反対しました。その反対者の一人が、実は後のインパール作戦最大の責任者、牟田口廉也第十八軍師団長だったのです。
現地の反対の声と、その後の戦況悪化を受けて、大本営は二一号作戦の実施保留を命じます。しかし、それは「実施中止」を明確に伝えたものではありませんでした。その後、軍司令官に昇進した牟田口は、態度を180度変えて、ビルマ防衛のためにインド東北部侵攻を主張するようになります。彼は、自身が作戦に反対したことを「必勝の信念」に欠けた態度だと反省し、消極的な意見は言わずにできるだけ上司の意図に沿った行動をしようと考えたのです。つまり、大本営による「二一号作戦」の「保留」を、牟田口は「本当は実施したいのだ」と忖度し、その意図を実現しようとしたのです。
部下はその作戦に驚愕しつつも、その信念の固さを知り、誰も表だって反対しませんでした。牟田口を止められる立場の河辺方面軍司令官も、そして大本営も、牟田口がそんなにやりたいのならやらせてあげよう、その意欲に水を差してはいけないという人情論に屈してしまいます。作戦発動を許可する意向を知らされた東条首相兼陸相は、対応措置や補給など5項目について問題がないか質問しましたが、すでに作戦決行を決めた大本営は「問題ない」と回答したのです。
その後、昭和19年に決行された「ひよどり越え」インパール作戦は、食糧補給もまともに構想されていないため、当然のごとく大惨事を呼びます。しかし、作戦成功を保証する南方軍からの報告書もあって、大本営は現地の弱気を叱咤し激励するばかりでした。すでに作戦中止が不可避となった昭和19年6月、河辺は牟田口を訪問しますが、両者とも中止を口にできませんでした。牟田口はのちに、「私の顔色で察してほしかった」と述べています。
インパール作戦の失敗には、様々な要素が絡んでいます。作戦計画の杜撰さ、柔軟性の欠如、敵の作戦を見抜くことができなかったこと、情報の貧困、敵の過小評価、事実の隠蔽などです。しかしさらに重要なのは、作戦許可プロセスや中止プロセスに示された、人間関係重視・組織内融和の優先であった、と本書では分析されています。
まとめ
本書は、インパール作戦や他の作戦失敗の分析から、日本軍の組織上の欠陥を抽出しました。一言で言えば、組織が人間関係の融和を優先するあまり、過去のあり方を否定することができずに、環境に適応することに失敗したということです。「空気を読む」ことを重視するあまり、学習能力も自浄能力も欠いてしまう、こうした組織特性は日本軍にかぎらず、あらゆる現代日本の構造的問題の中心にあるのではないでしょうか。『孫子』と『失敗の本質』には、もうひとつ共通点があります。歴史家や社会科学研究者だけではなく、企業経営者からの評価が非常に高いことです。
この社会には、戦争について色んな考えの人がいます。ことに大日本帝国が行った戦争について、その見解の違いは極めて大きいです。ですが、戦争の事実と現実をまっすぐ見つめ、そこから教訓を得ることは、立場やイデオロギーを越えて、私たち一人一人がいまを生き抜くために有意義だと思われます。
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いかがでしたか?
今日はちょっとむずかしかったかも…後日単語の補足を入れておきますね。
この書評を通して興味を持っていただけましたら、どうぞぜひ実際に手にとってお読みください。
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