『夕凪の街・桜の国』から考える罪の意識について

これは恋の物語です。
そして愛の物語でもあり、家族の物語であり、「原爆のその後」の物語でもあります。

夕凪の街は35p、桜の国は二編で約150pの、こうの史代のマンガです。
劇場アニメ「この世界の片隅に」で作者を知ったという人もいるかもしれませんね。かくいうワタシもそうでした。


あれから10年。
原爆のことを、失った家族のことを、語らなくなった広島。

同僚たちと流行の話題で盛り上がる日常を送る主人公でしたが、一方では【生き残ってしまった】ことに深い罪の意識を感じ、原爆後・終戦後の世界に自分が存在することへの違和感を感じてもいました。

誰かが望んだ自分の死
無数の死の上に立つ自分の生


ささやかな幸せを享受することは、果たして許されるのだろうか?

1人抱え込んだ胸の内を明かした彼女に、想いを寄せる同僚が語る言葉にハッとさせられます。

うん…そうじゃないか思うた
うちもこっちに住んどった叔母が原爆で亡くなっとってのう
ばあちゃんも広島の子に何かしてあげとうて草履編んだんじゃ

そう。みんな、知っていたのです。彼も。「ピカの毒にやられる」ことの意味を。

知っていて好きになった彼の気持ちがいかなるものであったかは、続く「桜の国」で鮮明になります。

「桜の国」には「夕凪の街」に登場した主人公に想いを寄せるあの同僚の男は、それとハッキリ分かる形では明示されませんが登場しています。

それもとてもとても大切なシーンに彼の姿が確認できます。

わたしたち人間は「群れのいきもの」です。
単独で生存することはほとんど不可能に近いでしょう。

つまり多くの場合、
「わたしの」大切な人は、「誰か他の人の」大切な人でもあるのです。


【わたしの大切な人】を守りたいとき、
【誰か他の人の大切な人】を奪ってしまうかもしれない。

【わたしの大切な人】を守るために、

『誰か他の人の大切な人』を傷つけてしまうかもしれない。


正義を貫くことの難しさは、こんなにも切ない人間心理によって裏打ちされてしまう側面もあるのではないでしょうか。

作者は凄惨なシーンのほとんどをデフォルメの効いた描写で表し、この短編集の物語自体が比較的穏やかに進んでいきます。

しかし、この3編の短い物語の全てを通じて語られる、

愛するが故の苦悩や罪悪感
愛する人を守るための残酷さ


これらだけがその理由ではないものの、しかし充分にこれらも「戦争の悲惨さ」であったようにワタシには感じられました。